10年ひと昔

今年は3月で東日本大震災から10年の節目を迎えることがニュースなどで報じられていた。

10年前の震災当時は京都に居て東日本から遠く離れて居たけれども、その瞬間は揺れを感じたのを覚えている。

10年前はもちろん今のような新型コロナウィルスの危機は起こっていなかったわけで、人は生きている限り、どんな場面に遭遇するかはわからないものだ。

 

その2011年頃の撮影フィルムを眺めているとその時の気持ちを思い出します。

back2basicにとっての2011年はフィルムをめぐる模索とともに始まりました。2010年12月末日到着分をもって、アメリカのカンザスにあるDwayne's Photoで行われていたコダクロームの現像が終了してリバーサルフィルムを取り巻く環境は厳しさを増していた。もちろん、フジのベルビア50は素晴らしいフィルムですが、全く異なる個性のコダクロームという選択肢があってこそ輝く気がします。

様々な製品が作られては消えてゆくのはやむを得ないことなのでしょうけど、それは進化論(?)の言うところの適者生存ではないような気がします。

テクニカラー方式の映画がかつては存在していましたが、その濃厚かつ美しい発色にも関わらず姿を消す運命を辿ったのは、簡便さが求められたことと、コストの問題の気がするし…。

例えば『地獄の黙示録』のようなCGを一切使用しないアクション大作映画が現在作られないのも、CGの方が最先端だからとばかりはいえないのではないか、コストの問題がチラついている気がします。

10年前のCG大作を今見てみると、その画面のチャチさにげんなりすることも多い気がするし。 他方、『地獄の黙示録』は1979年版が最初だが、全然朽ちていない。

 あと10年経てば、異なる感想を持つことになるのか、楽しみではありますね。

 

2010年の12月にはDwayne's Photoに2回現像に出しました。 先に出した方は、マウント仕上げのポジの紙マウントに DEC10 すなわち2010年12月の刻印がなされていて、 後に出した方は、JAN11 すなわち2011年1月の刻印がなされて帰ってきました。その時からback2basicにとってのコダクローム撮影は時を止めてしまいましたが、現実のフィルムも記憶も色褪せてはいません。

ベルビアと比べるとしたら地味に見えるでしょう。けれど、これは低感度のコダクローム25でありシャープネスは気持ちよくもう一度復活してほしいと願わずにはいられません。

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Kodak KM , Ai Zoom Nikkor 25-50mm

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DEC10 、コダクローム25 K14 プロセス現像 By Dwayne’s Photo